嫁と出会ってかれこれ10年

今これをご覧の皆様にとっては非常にどうでも良いことなのですが、自分にとっては一つの節目なのでここに。

10年前は学生でした

10年なんてあっという間に過ぎました。
当時は学生で、札幌のベッドダウンである隣町の北広島市の
とても綺麗な朝もやが見れる学生向けアパートの4階に住んでいました。
で、そのころよさこいソーランという北海道で行われているお祭りに参加するため、
あれやこれやと活動をする中で知り合ったのが今の嫁です。

喧嘩もたくさんしました

付き合い始めてからも喧嘩はたくさんしました。
まぁ、どこも似たようなもんだと思いますが、ご他聞にもれずくだらない原因がほとんど。
ちなみに今でも喧嘩はしていますが。

離れてる時期もありました

上記の通り喧嘩した挙句、「しばらく会わない」とか言って数ヶ月連絡取らなかった時期があったり、
僕が「オーストラリアにワーホリにいく」とか言って1年くらい会わない時期があったり、
帰国後「教員採用試験受ける」とか言って、1年くらい引きこもってる時期があったり、
全部僕のせいなのだけど、物理的に離れる時間もありました。

彼女のいいところ

自分の感性に従って動くことが多いです。
で、その感性は非常に優れており、僕が頭を使って理論的に時間を掛けて考え出す答えを一瞬のひらめきで導き出します。
「あたりまえ」の事を「あたりまえ」に考えて、実行する能力とでもいいましょうか、「理屈じゃない」ところでちゃんとした考えをできる人です。
一方、一般的に感性で動く人に多く見られがちなわがままな部分や、他人との感覚の違いを理性をもって調整する能力もあります。
また、損得以外の価値観を非常に重要視するところがあり、さまざまな場面における優先順位において、金銭よりも優先すべき判断が必要な時に彼女は正しい答えを出すことが多くあります。と同時にお金の大切も理解しており、やりくり上手です。
ここまで言うと完璧超人のような褒めっぷりですが、それらを上手く調和するために、流行のおバカというすてきなトッピングがやや多めに混ぜ込まれています。
上手く言葉にできないのですが、非常にフラットで、ナチュラルで、プレーンで、余計なことを考えないで生きている人間。
逆に僕は理屈っぽくて、いろいろと納得しないと自分自身も身動きが取れないという人間(モノを買うときはとりあえずカタログを片っ端から集める系)なので、どちらかというと彼女とは真逆の人間性や価値観を持っている人と言えます。

ある意味心配はしてました

結婚する時、この真逆の人間性・価値観はある意味心配した要素のひとつでした。
よく「同じ価値観だから結婚した」とか言いますよね。
長く一緒にやっていくには近しい価値観を持っていたほうが互いのストレスも少なくて済むし、
さまざまな家庭内の判断についてもお互いの意見が一致しやすかったりするし。
でも、あの時僕はこう考えました。
「違う価値観を持ってるパートナーの方が、家庭という一つのユニット単位で考えたときにはふり幅の広い意見を持つことができる」と。そして何せ「そのほうがおもしろい」と。
つまり、似たような考えを持つ二人よりも、異なる意見を持つ二人の方が、選択肢としての幅が広がる、ということ。
もちろん何かを相談して、決定していかなければならない状況においてはその分大変だったりするけれど(だから喧嘩する)。

いつも彼女から勉強しています

そんな真逆の彼女だから、自分が持っていないたくさんのものを持っています。
もちろん物理的な話ではなくて、考え方や感覚などです。
ちょっとした事を話すると、「あぁ、そんな考えもあるのかぁ」とか「ふーん、それもありかもー」なんてことが度々あります。
そういった気づきを僕に与えてくれる彼女はとても貴重な存在です。

というわけで

なんだか意味の分からない内容になってきたのでそろそろ止めるのですが、
また10年後にどうなってるのか書きたいなぁと思います。
果たしてその時ブログは残っているのか、家庭は残っているのか、乞うご期待。

コメントいっこ

  1. おお、10年ですか。
    あのころから色々ありやしたね。

    末永くお幸せに。

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