泥臭い現場
90年代初頭、日経エレクトロニクス誌の記者として欧州メーカーの研究開発トップを取材した際、こんなことを言われたことがある。「例えば日本メーカーは優秀なプリンターを開発して世界市場を席巻している。うらやましいことだ。残念だけど、欧州ではもうそれができなくなっている。研究者たちがきれいなラボで、きれいな仕事しかしなくなってしまったからなんだ。食堂だって、管理職やドクターたちと現場作業員では別だしね。でも日本はちがう。ドクターをとって入社した人でも作業服を着て、現場の作業員と一緒に働く。だから優秀な製品が開発できる。でもいずれ、日本でもそれができなくなって、優れた新製品が生み出せなくなる日がきっとくるよ。そのときどうするか。そこが問題だね」
続・なぜなら、給料が安いから:ITpro
モノづくりの国といわれる日本の現場はどうなっているのだろうか。
「まずは営業」「まずは現場」という育成システムはちゃんと機能してるんだろうか。
「綺麗な水場」で生活する前に「泥臭さ」を知る仕組みは残っているのだろうか。
それが血と肉に混ざっているかどうかで、土壇場での力の出具合が大きく違うと思う。
あまり深く考えたことなかったけれど、やっぱりそういう部分は大切なんだ。
その意味では年功序列の終身雇用には大きな意味があったのだと感じる。
それなりの長いスパンで自身の成長を約束されていればこそ、若いときの現場の泥臭さにも耐えられたのだ。その約束が破綻してしまったいま、日本は彼が言うヨーロッパのような状況になってしまうのだろうか。
日本株式会社が民事再生にならない経営とスタッフィングと業務フローを早く立案しないと、
海の向こうのアメリカの事だって他人事ではなくなってしまう。