「キツイこと」と「辛い」ことは同軸にはない。「キツく」ても「楽しい」こともある

円高円高と世間は悲観的になっております。その一方、どこかに必ず円高で喜んでる人や企業があるはずなのに、まったくメディアにはでてこないですね。僕が高校生のときは、円高で輸入版のCDが異常に安くなり、「円高っていいことじゃん!」と思ってたのですが、あれは間違いだったのでしょうか?フジカワです。こんにちわ。

楽天主義

昔知り合った人間で、ものすごく楽天主義な人がいました。
旅先の海外で足を骨折して松葉杖生活になっても、スーパーの巨大カートに乗ってはしゃいじゃう(ちょっとマナー違反でごめんなさい)。車の旅でインキーしちゃっても「ネタができていいじゃん」とか言う。とまぁ、変な実例で申し訳ないんだけども、やたらと楽天家で辛そうな顔をみた記憶がない。

旅に出る

そんな人間と、ひょんなことから2週間ほど車で旅行に行くことになった。こいつは男で後もう一人は女の子、僕を含めて全部で3人。仮に男をタケ、女をトシエとする。旅といっても、僕が昔オーストラリアに居たときの話で、パースからアデレードまで車移動するのに僕一人で行くと、運転は大変だし、ガソリン代もけっこうかかってしまう。だから一緒に観光がてらその辺の費用を折半して行きませんか?という一方通行の移動兼観光のようなもの。向こうでは割と頻繁に見られる旅行スタイルの一つ。
タケとはパースの宿(いわゆるバックパッカー)でしばらく一緒に生活してたので上記のようなご機嫌な楽天主義者であることは分かってました。んで、「あと一人は欲しいねぇ」ということで、パースの街中の掲示板に「旅行仲間募集」の張り紙を出し、それに連絡をくれたトシエも一緒に旅は始まる。

とにかく騒がしい

旅はとにかく運転しっぱなし。出発前にある程度は道すがらにある「この街にはよろうスポット」を決めてはいたけれど、そこは広大なオーストラリア。まるでドラクエみたいなもんで、一つ街を抜けると次の街まで500キロとかはざら。途中でガス欠になるのを防ぐために国のルールでガソリンスタンドだけは定期的にあるのだけれど、あとは荒野が多い。ちなみにこの旅で一回ガス欠になった。アクセル踏んでるのにメーターがグングン落ちて、うんともすんとも言わなくなった。あの感覚は今後の人生でもう味わいたくない。このときは灼熱の太陽のもと、半日ほど過ぎ行く車に親指上げて、3台目くらい(国道なのに半日で交通量が3台とかありえない)に通った車が止まってくれた。リタイア後にキャンパーバンを購入し、夫婦で旅行中というおじいちゃんがガソリンを分けてくれた。そのときに「この国で予備タンクもたずに車乗ったらだめだぁ~」って怒られた。実はこのガス欠になる前に、僕らも他の人に予備タンクからガソリンを分けてあげていたのだ。アボリジニーに。あげなきゃ良かった、とは思わなかったけど。
そんな旅だったのだけれど、とにかく騒がしい。終わり無く歌は歌うし、くだらない話はするし、ホイッスルは吹くし、ただでさえ狭い車内で踊るし。カンガルーの死体を轢いてミッションタンクに穴開いて、そのとき運転してたヨシエがメソメソとパースの彼氏に電話しても、修理にヘコむ僕がいても、とにかく「うぉー、すげー。カンガルー轢いたよ、しかも死体」とか騒ぐ。いい加減にして欲しい、と思ったときもあったけど、なぜだかタケと一緒にいると怒る気も失せて、楽しんでしまう僕がいた。

心の抑揚

実のところこの区間だけではなく、オーストラリアの外周をこんな感じで色んな人を乗せて一周したのだけれど、今思い返すと、この区間での移動が一番楽しかった気がする。もちろん他の街でしか見れないものもあったし、他の友人達もとても楽しかった。甲乙つけられるものではないけれど、景勝地以外での経験という意味ではこの区間での経験が一番心に残っているのだ。
それは恐らく「心の抑揚」が一番あったからなのではないか、と今では思っている。そしてその抑揚は抑える必要などどこにもなく、どんどんとどこまでも盛り上がっていく。

とにかく楽しむ、という事

そんなタケとしばらく一緒にいると、周りの僕らも本当にハッピーになってきちゃうから不思議だった。別にタケのテンションに引っ張られてるわけでもないし、ハッピーにな気がしていただけな訳でもない。本当にハッピーだったのだ。楽しいことばかりじゃなかった旅だったけど、どうにも良くない記憶は残ってないし、大変だったことも楽しかった。おそらくその理由はそのときすでに僕らの心もタケと同じく楽天主義になっていたのだったと思う。一時的ではあるが(今は違うw)。そして本当に何とかなってきたし、してきたのだ。その時にはもしかしたら一瞬だけ落ち込んだりしたのかもしれないけど、そんなこと覚えてないし、その後の楽しさだけが残ってる。とにかく楽しんだ。

後々楽しめる記憶をリアルタイムで進行する

長いスパンで考えたら、その時その時のトラブルなんてよほどじゃない限り、大きなものはない。当然ほとんどのトラブルは解決するんだし、それは時間がたてば解決済みとして記憶に残る。それならば、「苦い思い出」よりも「楽しい思い出」として記憶に残したようがいい。もちろんそうならないこともあるだろうし、「楽しい思い出」として残すべきではない出来事だって人生にはある。
だけれども、辛い気持ちは人生を辛くさせる。思い出すのも苦しい。だったら極力前向きな気持ちで振り返れる記憶を沢山作りたいなぁと思う。楽天主義の本当のいいところは、「リアルタイムで楽しめる」ということよりも「後々楽しみながら振り返れる、そうなるような記憶をリアルタイムで作り出せる」ということなのかもしれない。

タイトルと中身がちぐはぐな気がするけど、そんなことをちょっと思い出したので、書いてみた。

コメントを残してみる

コメント