「とりあえずやってみる」「やりながら考える」|息子とブロック

仕事をしているとき、PCのキャッシュの手前には「自分の脳」というキャッシュが存在しているフジカワです、こんにちは。どんなにPCのキャッシュが大きくなっても、自分の脳内キャッシュは小さいままなので、業務途中に他の作業が割り込むと、そのパフォーマンスは大きく低下します。

検証プロセス

息子に与えたブロックを一緒に弄り始めて、想像力というのは動き初めてから加速的に大きくなることを再確認しています。いつの間にか自分は作業を始める前に「作るもの」と「そのプロセス」を明確にして、「どこがゴールか」を事前に設定することに随分と時間を掛けるようになってました。「作ってみて駄目だった」というのを嫌うようになっていたのです。

「仕事」という視点で考えるとそれも正しい考え方の一つです。つまり、仕事として時間を費やす以上、「やって駄目だった」では済まない部分が発生してくるので、実行する前に「果たしてそれが効果があるのかどうか」という事前の検証プロセスを行う必要があるからです。

安定と停滞

ここで一つ、人間性が出てきます。「恐れ」です。そこに時間を費やし、やった挙句駄目であることを恐れるあまり、一歩も踏み出せないというのは人としての「停滞」を意味します。「今まで上手くいってたんだからいいじゃん」と現状維持を続けることにつながります。そして次第に世の中の流れから取り残され、気がついたときには手遅れな状態になっているという罠がそこには潜んでいます。まさに「安定」イコール「停滞」。

「破壊」と「再生」

一方ブロックを弄っていると色んなものが見えてきます。「あ、ここをこうしたら面白かも」「こっちのほうがいいな」と想像力と発想力がどんどん膨らんで行きます。そして上手くいかない場合は多少手戻りしても再度構築し直しながら、自分のイメージに少しでも近づくように組み立てていきます。子供と一緒にそんなことをしていると、自分が子供の頃にダンボール一杯のブロックを毎日ガサガサと漁っていたことを思い出し、当時の自分と今の自分の考え方のあまりの違いに愕然としました。

ブロックと仕事は全て同じレベルで考えられる訳ではありません。が、少なくとも今より「とりあえずやってみる」「やりながら試行錯誤してゴールを探る」というやりかたをもう少し考えるべきなのかもな、なーんで子供と遊びながら考えさせられました。ちなみにブロックで何かを作っている時はゴールはありません。破壊と再生を永遠に繰り返します。「飽きたとき」がゴールです(笑)。

ちょっと分けてね

今、子供は幼児向けの大きめのブロックで遊んでいます。父としては早くレゴブロックで遊べるようになって欲しいと思っています。幼児用のブロックよりもパーツが豊富で、イメージの再現性も高いからです。ただしレゴはパーツが小さくて誤飲の危険性があるため、今はまだ使わせていません。いつくらいかな、3歳くらいになったらいいのかな?

僕もレゴで育ちました。「欲しいものをレゴで作る」というのが僕の日課でした。車、鉄砲、家、飛行機、テレビで観るキャラクターのオモチャなどなど。どんな想像力と発想力を見せてもらえるのか今から楽しみです。そしてその想像力と発想力を少し分けて貰おうなんでいやらしい考えをしています。

コメントいっこ

  1. 自分は従姉弟の家にレゴがあり、それで少し遊んだ程度だったと思います。
    その代わりと言っては何ですが、とにかく妄想(エロではない)野郎だった記憶が。。。

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