覚悟はいるが個人的幸福は最大限な生き方

Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (3/3) – ITmedia Newsより

昔から、自分の人生に、何か予期できないすばらしいことが起こったときに、すぐ飛び付ける体勢を作ってきた。そうしないと、「これは生涯の時だな」というのが目の前に通り過ぎるかもしれないじゃない。

 利害相反みたいなのができる限りないようなポジションに自分を置きながら暮らしていないと、目の前に何かすばらしいものが出てきたときに飛び付けないというのがあるよね。

こんな考え方を持ち、実際に実行できる環境を常に維持するというのは並大抵ではないと思う。守るべきユニットを最小規模に抑え、大きくすれば得られるものも多いであろう風呂敷もコンパクトに維持、そして自らのフットワークを常に軽くしておく。と同時に、その小さな風呂敷で最大限のものを運べる(稼ぎ出せる)ように最大効率化への努力は常に怠らず、結果として必要十二分の成果を出し続ける。

当人としてはものすごく覚悟が必要な生き方で、場合によっては周りの人達は寂しい思いをするケースが出てくるかも知れない。あるいは最初から「自分が置かれるのはそういう環境である」という認識を持つことができる人間しか周りには集まらないかもしれない。
それは同時に当人にとっても少し寂しい事かもしれない(生き方のプライオリティーゆえに当人はそうは感じないだろうけど)。
でも、個人的幸福としてはこれ以上ない生き方だと思う。
自分の信念を貫くタイプの人にとっては一番充実感を与えてくれるライフスタイルだと言える。僕の周囲環境で超一言で言うとふらりとワーキングホリデー行っちゃう人、みたいな。

でも日本には少なそう。もっというと30歳を過ぎると日本人は先の事を考え始めて「安定」のプライオリティーが高くなる。
「それなりに支えてあげられる人」
「それなりに支えてくれる人」
「それなりに共に笑える人」
「それなりに深く話し合える人」
そういった人達を大切にしながら、それまで築き上げた枠を「壊さないように」「ちょっとづつ広がれば良しとしよう」というスタンスで生きてく。そんな感じ。

どちらも決して悪くはない。でもどちらかに突出しすぎても良くはない。
少なくとも僕はそう思う。
それでも僕に出来ることはやっぱり
「なるべく人に迷惑を掛けない」ようにしつつ、
「自分の人生に、何か予期できないすばらしいことが起こったときに、すぐ飛び付ける体勢を作っておく事」だと思う。

短くまとめたかったけど、無理だった。

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