あっさりの等価交換。

心はちゃんと込められているんだから、
わかってもらえなくてもいいんだ、
あるいは、ありがとうって
言ってくれなくてもいいんだっていう
満足感が品だと思うんですよね。
それをできる人たちが、
やっぱり世の中には結構いてさ。
全部言葉にしたり、
目立つようにしたり、
忘れてると思ったらわざわざ突っ込みを入れて、
もう1回言わせたり、
そういう、悪い意味での
テレビ的なものっていう時代が、
もしかしたら終われるかな。
ほぼ日刊イトイ新聞 – 堺雅人さんと、満腹ごはん。

こんな時代がくるのを心の底から願う。
アピッたモン勝ちの時代はもうお腹いっぱい。
くどいほど説明して、いやらしいほど繰り返さないと分からない人っているよね。
社会全体が過度に「相手に分かりやすく」しすぎてて、
それに倣うように自分も「相手に対してわかりやすく何かを提供」しないといけない状態。
逆に自分が「提供される立場」になったあかつきには、他人にも「分かりやすいものを求め」がち。
挙句目に見えないような「空気を読む」ことさえ求められる。

いいじゃない、思い込みでさ。
相手の事を性善説的に解釈してあげましょうよ。
そうすればちょっと不便なことも起きるかもしれないけど、マクロ的に見たら絶対ハッピーだと思う。
実際にそういう人が近いところにいるんですよ。
ちょっとおっちょこちょいでたまに大きめのミスをしたりするるんだけど、
この人といると大体平和な時間を過ごせる。
マッタリというのとはちょっと違うんだけど、少なくともひねくれたストレスは感じなくていい。
多分この人は結構幸せな人生を送ってると思うのです。
そして僕が知りうる人達の中でもトップクラスに上品なんです。

多分そんなことを言ってるんだと思うんです。

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