年取ると落ち着くよね|ファッション

さて、今日から敵地3連戦ですね。フジカワです、こんにちは。
頑張れ、日ハム。頑張れ、僕。

違和感を与えない脱オタクファッション――「服の独り歩き」を避けるための心得 – シロクマの屑籠(汎適所属)
なんかすごく腑に落ちた。

 ちょっと昔、「オタクがハイテクシューズを履いていると、ハイテクシューズだけが歩いているようにみえる」なんて言われたこともあったけれど、あたかもそれを全身でやっているような、「なかのひと」を置き去りにして服装だけが独り歩きしている人達。

ちょうど僕が高校生の時にハイテクシューズブーム(AIR MAXとか)到来で、僕を含めてこんなのばっかりだったよ。靴以外はフツーなのに、靴だけやたらバキバキ。
なんというか、時代がそれを許したというか、高校生がもつ世界観の中ではそれでも全然ありだった。
っていうか、その世界の外から見ると違和感があったのだろうけど、残念ながらそれに気が付くほどの社会性を僕が持っていなかったという話。

服が主張しているスタイルと、本人から滲み出る雰囲気の方向性が合致していないがために、オーラのように違和感をまとった、どこか浮き足立ったものになってしまっている。

自分自身のライフスタイルとファッションとを摺り合わせることを度外視して突っ走れば、他人からみて「服だけが歩いているみたいにみえる」的な違和感は避けられない。

この辺も高校生時代を振り返ると恥ずかしくてしょうがない。
田舎高校生の自分ときたら、身の丈も知らずにバキバキの服を着たり、超浮き足立った靴を履いたり、もしくはその同時開催がスタンダード。
「何者でもない」自分が、「何者か」になれそうな気がして、もしくはなれる手助けをしてくれるのではないかという淡い期待を持って選んでいたそのファッションの効果は多分まったく出てなかった(笑)。
とはいえちょっと背伸びしたり、都会に憧れる田舎高校生はだいたいそんなもんで、まぁ、それはそれで高校時代にやるべきことの一つではあったのかなとも思う。
もしかしたら今も継続中で自分ひとりが気が付いてないだけかもだけど。
いや、今は多少の部分については確信犯的にやってる部分もある。
「あぁ、これはちょされる色だなぁ」とか、
「これ、絶対浮くな」とか思っても、
それを踏まえて身に着けてるものもある。
話のネタや、いじられアイテムになれば、それはそれで良し、という考え方。
だってかわいいんだもん、変な色の服とか、小物とか。
その代わり、アイテム同士のバッティングには少し気を使います、面倒臭くない時は。
怖いのは「あの人はああいう人だからそっとしといてあげよう」と思われる事。
やばいな、と思った時は「それは無いよアンタ」と言ってやってください。

「服の独り歩き」を回避し、他人に違和感を与えないようにするためには、やたらとファッションを先鋭化させたり尖ったブランド物を買い漁るよりも、控えめでもいいから自分自身のライフスタイルとの適合というものを意識したほうが良さげだと思う。

これも高校生の時なんだけど、修学旅行で東京に行った時に、
「うわぁ、東京ってオシャレな人ばかりだと思ってたのに、みんな超普通じゃん」
って思った記憶がある。
いや、オシャレな人ばかりいるって思うあたりが田舎高校生らしくてかわいいのだけど、アホだなほんと。そんな訳ないじゃん、俺残念。
逆に普通の人の多さにビックリしたものだけど、これは良く考えたら早い時期から東京の人たちは、自分達のライフスタイルとそれにフィットしたファッションの選定に気がついていたのかもしれないな、と今思った。
その中で、修学旅行生特有のオーラ全開で街を闊歩してたかと思うと、いやー、恥ずかしい。
私服高校だったので、東京の人達にしたら
「上京したての田舎モノが発する微笑ましくも厄介なオーラ」
+
「若さゆえに選んでしまう、頑張り過ぎた服(旅行中につきテンション200%チョイス)」
のダブルで放つ、うっとおしさ。
泣けてきます。

確かに、ユニクロや無印良品は強烈な自己主張をするブランドではないかもしれない。けれども、ライフスタイルとの摺り合わせという観点からみた時、あんなに違和感無く使いやすく、なおかつコストパフォーマンスにも優れたブランドが他にあるだろうか?

そうだー!!激しく同意!!
無印万歳。ユニクロ万歳。
無印コットンシャツ最高。ユニクロヒートテック最高。
今では彼ら無しでは僕のファッションは成立しなくなりつつある。
そんな今の自分のワードローブを見るたびに「あぁ、年取ったなぁ」と思わずにはいられません。
あと、「あぁ、僕の人生と、求めるキャラクターはそういうモノだったんだなぁ」と、
無意識と感覚が選ぶファッションに考えさせられます。
年取ると落ち着くよねぇ。

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