グサァッ|「書くことがないというのは考えてないというのに近い」

昨日、宝くじが大当たりする夢を見たフジカワです、こんにちは。当てたのは嫁な設定で、ある日通帳をみると残高が数億円になっていたのです。最近ロトとか、海外の宝くじとか、そういったニュースを沢山目にしたからだと思うのですが、もしかしたら正夢かもしれないので、宝くじを買ったほうがいいかもしれない、と思ってるアホな自分もいます。

まさしくその通り

昨日、衝撃的な文章に遭遇。

昨日ちょっとインプットとアウトプットのことについて書きましたが、アウトプットという点では、書くことがないというのは考えてないというのに近いんだろうなと思います。

書けるくらいに考えているかどうか。それに満たない考えというのは、たぶん意識がゆらゆらしてるだけであって考えてるとはいわない。

書くことがないというのは考えてないというのに近い:DESIGN IT! w/LOVE

薄々気がついていたけども、やっぱりか。
やっぱりそうか、そうなんだな。
ショックな事実。

何かの事象についてアウトプットする時、言葉や文章が出てこない理由として
1.表現する言葉を知らない
2.その事象のことを良く知らない
というのが大きなところだと思います。
1.については、ボキャブラリーの問題なので本を読んだり、新聞を読んだり、言葉を知っている人と過ごす時間を増やすことで解決できます。
一方、2.は事象のことをカタチある状態で把握していないのが原因です。液体のように頭に溜めているため、姿かたちが見えず、表現できないということが多い。確証はないのだけれど、実家を出て、主な情報源を新聞からインターネットに切り替えたあたりからこの辺の症状が加速しているような気がしています。
あくまで僕の場合ですが、紙媒体の紙面内の限られた情報量ではなく、ネット上の無限の情報量をチェックし始めたことで収集できる情報の絶対量は増えました。が、それぞれに対して「考える時間」が随分と薄くなっていたな、と思います。分かりやすくいうと「質より量」な情報収集ですね。
これを解決するのはやはり情報それぞれに対して思考を進めないといけないようです。場合によっては、収集する情報の量を制限する必要もありそうです。ただだた目で情報を追って、脳に詰めるだけでは集めた情報を活用できるところまでは到達しにくいものです。目の前のメモ帳やノートに情報のポイントを列記したりすることで構造化しながら理解することが「収集した情報」を「活きた知識」に変える手助けになるのかもしれません。

そろそろ年齢も年齢なので、「○○な感じ」とか、「○○的な」とか、ニュアンスばかりで表現していられなくなってきています。
ちょっと物事をロジカルに考えて、人が理解しやすい形でアウトプットするトレーニングをしなければいけないな、と思います。

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