「分かってもらえる」前提は危険だが、「分かろうとする」努力は必要。
世の中の仕組みや構造、構成要素が複雑になってくることで、
人それぞれにどんな形で世の中に関わっているかによって
価値観、守備範囲、持っている知識量とカテゴリにもどんどん差別化が進んでいます。
そんな中、社内間でも友人間でもコミュニケーションをとりながら何かを進めていくとき、
「分かってもらえる」、「わかってるはず」ということを前提に話を進めるのは危険ですね。
中にはいわゆる「あ」「うん」の呼吸で互いに理解し合い、「一を聞いて十を知る」間柄という人はいると思います。
両親、人生の伴侶、数十年来の友人などなど。
しかしそれ以外の大多数はほとんどが知り合って間もない人たちばかりで、
互いに異なるバックグラウンドの上で生きてきた人たちばかりです。
そういった人たちとコミュニケーションを取るときに意識してやりたいのが、
「分かってもらえるはず」という前提で話を進めずに、
できるだけストレスの無い程度に確認をしながら進めること。
もしかしたら分かってるかもしれません。それでも確認の意味で改めて説明したり、
あえて口に出すことが大切な重要な場面は沢山あります。
僕はこれに何度も救われたこともあります。
逆に痛い目にあったこともありますし、どちらかというとそっちの方が多い気がする。
「だってそんなこと聞いてないよ」
「言わなかったから大丈夫かと思った」
たしかに言ってないけれど、
こちらとしては「基本でしょ?」っていうケースもあるわけで。
相手としては「聞いてない」、こちらとしては「そこまで言わなきゃいけないの?」と。
だったら言ったらいいんです。
受け手が必要な情報なら、こちらに発信する責務があるのです。
別に「言った」「言わない」の揚げ足取りをしたいわけではなく、一つのゴールを目指す互いの目的は共通なわけで。
だったらそんな無駄な時間を浪費するリスクを犯す前に、
ちょこっとだけコストを掛けてしっかりと互いの共通認識の土台をセットアップするほうが
よほど効率がいいし、潜在的なトラブルの原因も排除できるわけです。
たとえちょっと説明や会議の時間が延びて相手が退屈そうにしてても、です。
そして今回一番言いたいことは、
だからといって自分が逆の立場になったときに、
「え?そんなこと聞いてないよ」
とは極力言わないようにすることです。
さらにいうと、そういうシチュエーションにならないように、
事前に「(付随して何が必要か)わかろうと努力する」ことも併せて必要だなぁ、と。
状況確認や、発生しそうなトラブルとその事前回避方法などなど、
「言われてない」けど、「聞いておいたほうがよさそう」なことは先回りして気づき、確認しておく。
なんだか思いっきり仕事んときの話になっちゃったけど、
要するに
「コミュニケーションは互いの情報の差異を埋める作業なのだから、相手のも自分のも、
しっかり埋められてこそ価値あるコミュニケーションである。」
ということですね。
うわ、最初からこう書けば良かった(笑)