あの日僕は麻雀をしていた|911

先日、久々に地下鉄で降りる駅をスルーしてしまったフジカワです、こんばんは。音楽って危ないなぁ。

麻雀してた

あの夜、僕らは麻雀をしていた。
社会人になってから初めての夏休み(今思うと大分遅い休みだな)を取り、
久しぶりに学生時代の仲間達と楽しい夜を過ごしてた最中の出来事。

「それポーン」とか何とか言ってる最中、別の友人からメール。
「すごいことになってるからテレビ点けてみ」
テレビをオンにすると、ビルに飛行機が突入する映像。
面白い映画でもやってるのかと思ってしばらく掛けていたのだけれど、どうやらそういうわけではない様子。
何度も何度も同じ映像を繰り返し流している。
これは映画じゃなくて本物だ、とその辺でやっと気がつく。
もっとリアルなシナリオのパニック映画だって沢山ある時代、
現実と非現実の境目がこんなにもろいとは思わなかった。

対岸の火事

ただ、僕らは日本人だ。
事故の理由もその時は定かではない。
普通の事故だとは思えなかったけど、リアルタイムのテレビでは情報が不足していて、
事件の背景が理解できなかった。
何より貴重な友人との時間をエンジョイするのに必死で、テレビを横目に麻雀を続けた。

数日後、大学の教授(アメリカ人)が、
「これは戦争だ」
って真っ先に言っていた。
今なら日本人を含めて当然みんな理解できるだろうけど、
あの時にそう考えていたのは僕らの周辺の人間では彼一人だった。
僕らはそこまで真剣に、重大に、あの事件のことを受け取っていなかった。
「先生、そりゃーないよ、大げさな」だって。
つまりあの場にいた人間達の中で、当事者意識を持っていたのは彼一人だったのだ。
残る人たちはあの事件を「対岸の火事」だと思っていた。

どのみち大失敗だった報復活動

その後の展開は言わずもがな。
ものすごい金と時間と人間が、戦争という名の報復行為(+石油利権)に投入された。
どちらが正しいかは僕には分からない。
ただ、アメリカ国家としては、家族を失ったアメリカ国民としては、
何かしらの行動を取らずにはいられなかったのは理解できる。

同じ立場に日本がなったと仮定して考えたとき、
政府が何もしなかったらその政府は間違いなく終了するはず。
経済制裁、国連制裁、得意技「遺憾の意」だけでは絶対に納得できない。
本国からの武力制裁をしてくれなければ、絶対に心情的に納得できないと思う。

石油利権の為に最初から仕組まれた陰謀であるという説もある。
もしそうだとすると、あそこまで国力を疲弊させた事実から考えても、陰謀は失敗だ。
そうじゃなかったとしてもアメリカという国の今の凋落っぷりをみると戦争自体が失敗だ。
どっちにしろ失敗という事実。

外からみる

この事件から2年後、僕はオーストラリアに住む事になる。
彼の地でもこの日が近くなると検証番組やニュースで放送される機会が増えた。
実際イギリスに倣って出兵してる国だから当然といえば当然。
日本よりもあの事件の影響を色々と受けているのだ。
メディアは日本よりも露骨だし、街でも「NO WAR for OIL(石油のための戦争反対)」というストリートアートを目にしたりする。
オーストラリアは移民を多く受け入れてきた多民族国家であり、マルチカルチャリズムを標榜してきた。
そんな国家だからこそ、民族問題が火種となる事件には敏感にもなるし、
現にイスラム系の移民達は国内での安全な生活を脅かされるほどのバッシングを受けたようだ。

僕は多民族国家であるオーストラリアに移民してきた人に助けてもらった事がある(参照:僕らの心は旅をする)ので多民族国家には良いイメージがある。
行政は大変だろうが、国としての可能性、多様性、ビジネスチャンス、国際化への足がかりなどなど、良いことも沢山あると思う。日本だってあと十年、二十年もしたら鎖国国家ではいられなくなるだろう。

脱線しすぎてもう止める

何だか話がズレまくってしまった挙句、元に戻す元気もないので、グダグダのまま終わらせてもらうけれど、
あんなに大きな事件ですら、僕に戦争に対する緊張感を与えなかったという事実が、当時の僕のアホさ加減(今でも十分にアホですが)と、日本の平和加減を良く表しているなぁ、と改めて思った次第。

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