最近より昔の作品が好きな理由|宮崎映画

今日、社用車でラジオを聴いていたフジカワです、こんばんは。「詩の朗読」的なコーナーで、タイトル「Departure」という詩が読まれていたのですが、内容がおかしい。朗読後に再度読まれたタイトルを注意深く聴いたところ、「ディパーチャー」ではなく、「おばあちゃん」でした。おい、DJ!活舌頑張れ!!

居酒屋の与太話

totoro1 最近より昔の作品が好きな理由|宮崎映画
さて、こないだ友人と二人で居酒屋に言ったときの話なので適当に読んでください。
しかし、気になっていた「なぜ最近の宮崎映画よりも昔の作品のほうが好きなのか」という理由が判明したのは、自分としてはうれしかったので、メモ。

キーワードその1「冒険フィールド」

・腐海への冒険(風の谷のウシカ/1984)
・存在が未確認の空飛ぶ島への冒険(天空の城ラピュタ/1986)
・知らない土地でお母さんに会いに行く妹の冒険(となりのトトロ/1988)
・知らない街に修行に出て、そこでの冒険(魔女の宅急便/1989)
という割と広い冒険フィールドが設定されていた昔。

一方、最近は
・湯屋内で展開(千と千尋の神隠し/2001)
・村とその周辺の森(もののけ姫/1997)
・動く家と点で繋がる外界(ハウルの動く城/2004)
など、どちらかといえば「狭いフィールド」で展開される話が多い。
狭いフィールドでも宮崎監督独特の世界観は十分に発揮されてるのだけれど、
やっぱり僕としては広い舞台で展開される作りの方が設定ごと楽しめてうれしいようです。
後期作品は狭い範囲での設定クオリティーは上がってるとは思うのだけれど、逆に世界観全体が見えなくなってる。意図的に出してない、という感すらある。設定エリアを狭めて、その分設定内容が細かく、濃くしてる。職人的な遷移な気がする。

というのが一つ。

キーワードその2「空」

もう一つ。これは分かりやすい。
・メーヴェで空を翔るナウシカ
・海賊船、ゴリヤク、天空の城
・猫バスで電線、トトロのお腹に掴まって空中散歩
・箒に乗った空飛ぶ宅急便キキ
・水上機で空を舞うポルコ
と、昔の宮崎映画はストーリ展開に空を良く使っていた。
んで、それが気持ち良かったんだ、と、こないだ気がついた。
今書きながら思ったけど、これも広い意味では冒険フィールドと同じか。

広い世界観の純粋なファンタジー望む

おかしな風刺や社会的メッセージを入れないで、
素直にワクワクする映画を久しぶりに作って欲しい。
他のクロスメディア戦略とか、製作委員会スポンサーのマーケティング睨みのストーリー展開を抜いてさ、
たまには純粋に作りたいものを作ってよう。
計算し尽くされたデザイン映画はもはやビジネス。臭い匂いがプンプンするんですよ。
計算しないところから偶然的に生まれる幸せや笑顔の連鎖みたいなものが世の中には全然足りてなくて、
それを提供できる数少ない人が宮崎さんだと思うんですよ。
見終わった後になんだか「考えちゃうね」みたいな難しいテーマは無しにした
ワクワクしてドキドキする映画を作ってください。

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