銀塩とデジタル|MZ-3とK200

mz3 銀塩とデジタル|MZ 3とK200

MZ-3を買ったのはかれこれ10年前。
その前は学生時代に買ったMZ-10という下位機種を使用。
あぁ、懐かしい。
フィルムと現像/プリント代がそれなりに掛かるため、
学生の僕はなーんも考えないでバシバシと撮影できるはずもなく、
被写体を見て、構図を決めて、露出を確認して撮影してた。
学生時代はモノクロームの手焼きもやってた。
大学の現像室で、酢酸臭くなりながら現像作業。
自分の中で今のところ「人生最高の一枚(自称)」を撮ったのもこの頃。

k200 銀塩とデジタル|MZ 3とK200
今使ってるデジカメは*ist DSを経て、一昨年の暮れくらいからK200。
さほどごっつい使い方をするわけではないので、K200になって変わったと思うのは解像度とボディーサイズくらい。
そう考えるといかに自分が機能を使いこなせずに適当に撮ってるかということを改めて痛感。
もちろん意識してないところで機能の恩恵は十分に受けてるのだろうし、ユーザーにそれを感じさせないのも作り手と製品自体の高い能力の証と言える(ということで納得しておく)。

デジカメが世間一般に対してもたらした革命の一つに「ランニングコストを気にせずに使える」というのが上げられると思う。これはもう最大の変化だ。気持ち的にも経済的にもカメラの使い方と付き合い方がドラスティックに変化した。他には
「現像スピード(現像作業→Photoshop / 報道関係に多大な影響)」
「物理的な移動時間の短縮(バイク便→Eメール / 報道関係に多大な影響)」
「記憶媒体の省スペース化(フィルム→データ / 部屋の荷物が減る)」
「記憶媒体の長期保存化(劣化しない /スキャンしたんです|ワーホリログ番外編参照 )」
あたりかな。
あー、それと気軽に量を撮影できるようになったので、上達のスピードがグンと早くなること。
これは Web進化論 におけるネットを使った棋士達の下りにある「高速道路化」に通じる。
ただし、ボーと撮ってたらいつまでも上達はしないと思うけど。

一方デジカメの出現で失ったものは、
「一枚に対する異常な執念」

「プリントが上がるまでのワクワクと不安、そして落胆(笑)」

hikaku 銀塩とデジタル|MZ 3とK200
二つを比較。厚みが違う。
持った感じはさらに違う。K200は重くて気軽に持ち歩く気になれない。
バッテリーグリップなんて着けた日にはもう。翌日肩こり決定です。

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