ハードオリエンテッドとソフトオリエンテッド|ライフスタイル

先日、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」で有名な日光東照宮についてのテレビを観ていたフジカワです、こんにちは。しかし、その発祥とされている孔子の『論語』の中では、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」(礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、おこなうなかれ)として4つ目の猿がおり、彼(彼女)は股間を隠しているそうです。イヤーン。

ハードオリエンテッドとソフトオリエンテッド

「物を売り、お金を貰い、それを原資にまた何かを買う。」
というサイクルを回すことが経済の基本の一つ。
そのスピードをどのくらい早くできるかで経済成長の速度が変わります。
そしてそれを意図的に早めるために、メーカーや企業はさまざまな創意工夫を凝らします。
・こんな商品作ったよ
・こんなサービス始めたよ
・こんな機能を提供するよ
と。
消費者は便利だと思えばそれを買うだろうし、思わなければ買わない。
もしくは市場にそれら新しいものしかなくなると、あるものを買わなければならない。
たとえ必要の無い機能が付いてたとしてもです。
そうして少しずつ機能と利便性が付加されたさまざまなものが生産・消費され続けてきた。
という「ハード主体の消費サイクル」がここで僕がいう「ハードオリエンテッド」

一方、
「こんなことができる商品が欲しいなぁ」
「こんなサービスがあったら便利なのになー」
というユーザーの要望に答える形で開発される商品やサービスもあります。
いわゆる「オーダーメイド」のように「使う人が必要なものを選択して構築する」という考え。
こちらが「ソフトオリエンテッド」

使われる状況によってさまざまな解釈がありますがとりあえず今回はそんな定義で話を進めます。

ハードオリエンテッドな大量消費時代

で、近代から現代に掛けて日本が戦後復興するにあたり、さまざまなものがハードオリエンテッドで新しいものに移行してきました。洗濯機や冷蔵庫、テレビなどのいわゆる「旧三種の神器」や、オーディオ、食洗機、パソコン、車などなど。「よくわからないけど隣が買ってるからとりあえず導入だ!」みたいな感じで取り入れた家も多かったと思います。特にパソコンとか。
ボーナス時期に新しいものに買い変える度に新しい機能が追加されていて、どんどん僕らの暮らしは良くなっていきました。
昔の広告はとかく「新しい機能/技術」を前面に押し出したものが多かったのを良く覚えています。
「新開発!VTECエンジンを搭載した新型シビック!」とか、
「高精細!ダイヤモンドトロン採用の三菱ブラウン管テレビ」とか。

ソフトオリエンテッドへの移行

しかし、そういった色々なものもオーバースペックになってくる時代がやってきました。
十二分な機能・性能を有し、「壊れる」前に買い変える動機が薄くなってきています。挙句、買い替えを促進するためにメーカーの保障期間が切れた直後に商品が壊れるという某メーカーの「ソニータイマー」なる言葉まで生まれる始末。

これじゃぁイカンと。
「ユーザーが本当に必要としているものは何か?」
「それを的確に探り出してニーズに答えるものを提供すれば売れる!」
という商品開発の流れになっています。いわゆるマーケティングという方法論。
この辺から「ソフトオリエンテッド」な考え方も割と重要視されてきます。
ただ、実は物事のスタートアップはそもそも「ソフトオリエンテッド」のはずなのです。
だって、作る誰かは「あ、こんなの欲しい」と思うから。それで作り始めるんだから。
なのにどこからか商業ベースになった時、それだけじゃなくて謎な付加価値を付けて無駄なプラスアルファのコストを上乗せするような商売の仕方をするようになってたのですね。ま、大量生産、大量消費の時代でしたからそういう部分も必要だったのでしょう。

脱線のお知らせ

で、このブログを一般的な着地点に向かわせるには、
「そろそろハードオリエンテッドな商品開発から、本当に必要なことだけを無駄なく実現できるソフトオリエンテッドな商品開発に変えるべきだ」
「そのためには今後はWebを有効に活用すべきだ。ほら、TwitterやSNSを導入しよう。民の声に直接耳を傾けよう」
とかなんとか、というのが妥当な線なのですが、それは誰かに任せるとして今回もぶっ飛びます。

さて、気を取り直して。

そもそもこんなエントリーを書こうと思ったのはちょいちょいこのブログで引用させて頂いている
台所空間学/山口昌伴:DESIGN IT! w/LOVE
を読んだからなのですが、今回もほんと参りました。ブログの主はHIROKI tanahashiさんという方。
仕事云々ではなく、デザインの対象として捉えているのが「モノ」だけに留まらず、「日々の生活」もしくは「人生そのもの」という感じがします。
本来、「デザインというのはこうやって人生を豊かにするために行うものだよなぁ」とエントリーを読むたび、いつも思わせていただいてます。いわゆる「見た目」に関わる「フォルム」や「色」ももちろん大切ですが、要するに、「『何が』『どう変わって』『どう良くなるのか』ということを考えることがデザインであり、その対象はあらゆる身の回りの事象が対象になる」と。そう言ってるわけではありませんが、僕は彼のエントリーを読んでそう感じています。

やっと本題

で、で、この
台所空間学/山口昌伴:DESIGN IT! w/LOVE
の台所の話ね。「台所」から「キッチン」に移行するにあたってそこから無くなっていったものが

・台所は野、山、海、土や自然とのつながりをなくした。
・台所は食糧備蓄基地としての役割をなくした。
・ 台所は大量処理の機能をなくした。
・台所は保存加工の場ではなくなった。
・手間ひまがかけられなくなった。
・失敗ができず、まずいものが食えない。
・台所は主婦の賢明さを失わせる。
台所空間学/山口昌伴:DESIGN IT! w/LOVE

であると。

たしかにそうだ。
今は区画整理で立て替えてしまったけれど祖母の家には今の家にはないものが沢山ありました。
・家畜を飼う設備と、それを裁く設備(祖母の家では台所では無かったが)
・大きな家族を食わせるための大きな食器棚
・大きな釜を使ったり、大量に調理を行うための巨大なスペース(近代のキッチンは5畳程度)
・とにかく常に色々と野菜や食料がつまれていた大きな土間
などです。祖父や父達男連中はほとんど台所には足を踏み入れない、完全に「台所」という「女性の仕事場」という印象がありました。それが昔の生活様式であり、必要から生み出された機能と仕組みだったのでしょう。

鶏が先か、卵が先か

では昔の「台所」から今の「キッチン」に変わったのって「なぜ」なのでしょうか?
「ライフスタイル」が変化したからでしょうか?
じゃぁ、「ライフスタイルが変化」したのはなぜでしょうか?
それって、「台所がキッチンに変わったから」と思いませんか?
「ライフスタイルが変わったからキッチンになった」のではなく、
「キッチンになったからライフスタイルが変わった」ような気がします。
経済の復興に合わせてニーズを作り出すべく、業界主導でライフスタイルを意図的に変化させられたのではないかと思いませんか?
つまり現代に生きる僕らのライフスタイル自体が「ハードオリエンテッド」されていたと思うのです。

ソフトオリエンテッドなライフスタイルへ

最近はロハス、シンプルライフ、オーガニック等の合言葉の下、改めて各自が自分のライフスタイルを見つめ直し、それに伴って古い長屋の再活用や昔の建物を上手く再利用する考え方も実践されています。
一方、超モダンな鉄骨住宅でゆとりのある空間、広々としたシステムキッチンでお洒落イタリアンを作る人もいます。
どちらもそれぞれの価値であり、どちらも間違いではありません。かといって唯一無二の正解でもありません。
一人ひとりが自分の人生を設計し、それに合ったものを選択するという能力を身に着けることが各自幸せに暮らしていく事に繋がるのではないかなぁと思います。

僕みたいにお店に行ったり雑誌を見るだけで何でも欲しくなってしまうのではなく、
「自分が必要としているものを自分自身で理解して」
「メディアやメーカーの思惑に乗せられることなく」
「隣や友達がこうだからという理由を抜きに」
自分の行動や生き方を決定する考え方と行動力を養うこと。その結果として選んだ人生を歩むこと。
それが「ソフトオリエンテッドなライフスタイル」といえるのではないでしょうか?

ちょっとビジネス的な考えとして…

モダンだろうとオーガニックだろうと、世の中にはビジネスに関連させて商売に結びつける人は出てきます。
普通のタオルの数倍の値段で「天然コットン100%のオーガニックタオル」を販売する店もあります。
結局なにを選択してもお金が掛かるものなのかもしれませんが、「限られたお金」を、「より納得できる形で使える」状況を提供していける企業がこの先の勝ち組になるのかもしれません。
そしてそういう状況になるというのは僕達消費者にとっても良い事だと思います。
(少なくとも必要ない機能をふんだんに盛り込んだ3Dテレビしか買えない時代が来るよりかは。)

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